English Original
バンディグローブと北アメリカ:生と死
2016年8月12日
次のバンディグローブに登録している30名の内、9名はフランス人ではありません。11月6日に2回目の無寄港単独世界一周レースに出発する予定だったアメリカの Rich Wilson を含んで10ヶ国が代表を出しています。またアメリカとニュージランドの2つの国籍を持つ、 Conrad Colman もいます。レースの歴史において、他に4名の北米大陸の出身者がレ・サーブル・ドオロヌから出発しており、合計3名のアメリカ人、2名のカナダ人になりました。あるものはバンディグローブで劇的な状況に陥り、別の者は彼らの体験した偉大な物語を喜んで世間と共有しました。時間を巻き戻してみましょう。
私たちが今1989年の11月26日のレ・サーブル・ドオロヌ港にいるとしましょう。
13名のスキッパー達、13名の開拓者たちが単独無寄港世界一周ヨットレース、バンディグローブに出発します。これらの登録をした者の中に、アメリカ合衆国からの挑戦者、Mike Plant が彼の60フィート艇 Duracell に乗って参加しようとしていました。1986年から1987年に、彼に取って初めての主要な単独レース、寄港しながらの世界一周レース、BOCチャレンジで、彼は50フィート艇のクラスⅡで優勝していました。
バンディグローブでは、Mike Plantはレースを完走しましたが、ニュージランドのキャンプベル島で援助を受けたため失格になりました。湾の中で舫った時、艇が走錨しました。彼の単胴艇は海岸に座礁する危険がありました。彼はチームの科学者たちの救援を受けました。バンディグローブの規則ははっきりしています。外部からの援助は受けられません。それでMike Plantは自動的に失格になりました。
Mike Plant とGerry Roufs 二人のバンディグローブでの大事な夢は敗れました。
1991年、Mike Plant は彼の最初のバンディグローブで航海することになる単胴艇に乗って、2回目のBOCチャレンジで4位でフィニッシュしました。
やがて、彼はバンディグローブの1992年1993年版に参加するため、新しい60フィート艇Coyoteを建造しました。1992年10月16日、彼はニューヨークを立ってレースのスタート地点レ・サーブル・ドオロヌへ向かいました。11日後、彼は遭難信号を発信しました。不幸にも捜索は徒労に終わりました。残酷な運命のいたずらで、彼のCoyoteの船体は11月29日、アゾレス諸島の北で、転覆して無人で発見されました。第2回目のバンディグローブの始まりに取って大変な日となりました。
1996年-1997年バンディグローブでは、ケベックから参加したシニア、Gerry Roufs が北アメリカを代表しました。1996年のプリマスからの大西洋横断レースでの優勝者は大いなる野望を持って出港しました。南氷洋で、第3回目のバンディグローブ挑戦者たちは暴風と山のような波に苦しめられました。Raphael Dinelli, Thierry Dubois, とイギリスのセーラー、Tony Bullimore は転覆しましたが、全員幸運にも救助されました。しかし、パリではレース本部が、2位にいたGerry Roufsが彼らの呼びかけに答えないことに気がつきました。彼の最後の無線で、彼は、「波がただの波ではない。アルプスのように巨大だ。」と告げました。Gerry Roufs の最後に連絡をしてきた位置を中心に捜索のための多大な努力がなされました。貨物船はコースを変え、他の4隻の挑戦者たちがそのエリアを捜索しました。しかし、厳しい嵐はこの捜査を大変に困難なものにし、捜索は中断せざるを得なくなりました。Gerry Roufs の壊れたボートは6か月後チリの海岸でやっと発見されました。
この扱いにくいレースの優勝者、Christophe Auguin は大変にきちんとそれを表現しました、「バンディグローブのような大冒険が、スポーツの価値の最も偉大な見本の一つになるために参加する者たちの命を危うくすることはできません。」 彼の思いは達せられました。Gerry Roufs の事故以来、だれ一人他のセーラーがバンディグローブで命を失っていません。
バンディグローブを完走した最初のアメリカ人、Bruce Schwab
私たちは北アメリカからの他の参加者を見るのはカルフォルニア出身のBruce Schwab の2004年まで待たなければなりませんでした。2001年に、彼は単独世界一周(無寄港ではない)レース、アラウンドアローンを5位でフィニッシュしていました。この魅力的な性格は自分の自由に設計した驚くべき艇に乗って自分の地位を占めました。彼は何の劣るところもなくレ・サーブル・ドオロヌに戻ってきました。そして2004年‐2005年のバンディグローブレースで先導的な位置を占めたフランスやイギリスのセーラーたちに並んで極めて単純に興奮させてくれました。彼は海での109日間の後、9位でフィニッシュしました。そして、そうすることでバンディグローブを完走したリストに彼の名前を付け加えた初めてのアメリカ人になりました。彼はこの快挙の後、レ・サーブル・ドオロヌの港で熱狂的な歓迎を受けて驚きました。
能力のあるギタリスト、彼は彼の成果が彼の国の男たちをもっと挑戦するようにさせること望んで、懐疑的だった人々をギャフンと言わせました。 「私たちが単独世界一周航海をする時、あなた方はもう少し熱狂的になるべきだった、」彼は宣言しました。「しかし、私は国際的な60フィートの競争の場にアメリカ製の艇で参加し航海した唯一のアメリカ人だということに未だに驚いている。私はただこのことがすぐに変化をもたらすことを望んでいる。」
2008年-2009年、Rich Wilson と Derek Hatfield による参加者数の記録。
2008年-2009年のバンディグローブで、初めて北アメリカから2人の挑戦者が参加しました。アメリカ人 Rich Wilson は58歳というもっとも年を取ったレース挑戦者でした。ハーバードで2つの学位を取り、ボストンの有名なMITで科学を収めた、Rich Wilson はこの冒険を通して彼の経験をどのように分かち合うかを知っていました。彼は、1990年彼がサンフランシスコとボストンの間の記録を打ち破ろうと企てた時以来、セーリングを教育の道具として使っていました。彼のさまざまな挑戦はアメリカ合衆国で数千人の子供たちによって受け継がれました。教育を促進するために冒険を使うということは本当に作用していた、そして彼は彼の最大の冒険、バンディブローブでそれを継続しようとしていた。10年物の古い単胴艇に乗って、彼は強風と、苦しんだ多くの損傷を乗り越えました。海での121日の後に9位でレ・サーブル・ドオロヌへフィニッシュしました。そして、経験をすることができ、かつ大変に多くの人とこのバンディグローブを共有できたことは特に幸せなことでした。
Derek Hatfield の結果は違いました。バンディグローブに出場した2番目のカナダ人はGerry Roufs 以来12年ぶりでした。スタート直後、彼はその一部が折れた風車とマストトラック(メインセールを揚げるためにマストについている金具)を修理するために戻らざるを得なくなりました。Derek Hatfieldは他の人よりも5日遅れて、再びレ・サーブル・ドオロヌ港を出港しました、そして南氷洋までレースを継続しました。暴風雨につかまり、彼はオーストラリアの南で転覆し、そしてスプレッダー(マストについている横桁)が2つ折れました。彼の艇自身は大丈夫でしたが、装備にはかなり影響し、彼はレースを続けることが不可能でした。Derek Hatfield はセールを縮帆してタスマニアのホバートへ向かい、そしてレースを棄権しました。彼はバンディグローブを完走した最初のカナダ人にはなれませんでした。私たちは最近彼が63歳で亡くなったという悲しい知らせを受けました。
昨日も今日も大使であり続けるRichWilson。
次のバンディグローブはどうなるでしょうか?
2か国の国籍(アメリカとニュージランド)を持つ一人のセーラーがいます。Conrad Colman について話をしましょう。彼は、2つの2人乗り世界一周レース(クラス40でのグローバルオーシャンレースとIMOCAのバルセロナワールドレース)に挑戦したばかりで、初めてのバンディグローブに挑戦しようとしています。
11月6日、別のアメリカ人セーラー、しっかりとしたRich Wilson がレ・サーブル・ドオロヌから出港しようとしています。2008年-2009年のように、彼はおよそ10年物になる艇、Owen Clarke が2006年から設計したGreat American ⅳに乗ってレースに参戦する、最も歳を取った挑戦者になるでしょう。この艇は明らかに彼が2008年-2009年に作った実績を更新する可能性を秘めています。レースの結果の先を見すえて、Rich Wilson は合衆国と世界中の若者に向けて前向きな価値を届けるために彼の教育プログラムを開発したいと熱望しています。「私たちは学校のために計画されたすべての内容を作り上げたい、毎日のラジオに載せて記録を取り、毎週私たちが教えているプログラム、写真、ビデオ、のテストをし、毎週生徒たちから上がって来る生物医学のデータでの質問への返事を行う。」 彼は最近私たちに説明をしてくれました。丁度、過去のBruce Schwab のように、Rich Wilson もまた、バンディグローブで地位を占めることがアメリカ合衆国でより広く知られることになりもっと挑戦者を増やすことになると望んでいます。
北アメリカの挑戦者たち-実際の人物
・5人のセーラーが出場しました。Mike Plant (USA), Gerry Roufs (Canada), Bruce Schwab (USA), Rich Wilson (USA), Derek Hatfield (Canada).
・2人のセーラが失われました。Mike Plant (1992年、ニューヨークからレ・サーブル・ドオロヌへの回航の途中で)そして Gerry Roufs (1997年に)
・2人がレースを完走しました。Bruce Schwab (2004年-2005年に9位で)、そして Rich Wilson (2008年-2009年に9位で)
・1人が世界一周をするが失格。Mike Plant (1989年-1990年)
・1人が棄権する。Derek Hatfield (2008年-2009年)
・最高記録、Bruce Schwab の109日19時間59分 (2004年-2005年)
記事:Olivier Bourbon/M&M
翻訳:Watson Courtier as of Aug.17