Rich Wilson,13位に入る

Rich Wilson takes Thirteen Place



English Original

Rich Wilsonは13位になりました。

2月21日 2017年

 

アメリカ人スキッパー、Rich Wilsonはフランスの西海岸のレ・サーブル・ド・オロヌの沖の単独世界一周レース・バンディグローブのフィニッシュラインを2月21日木曜日の午後12時50分UTCに切りました。2016年11月6日、日曜日にレ・サーブル・ド・オロヌから27,440マイルの単独レースに出発した29艇の内、WilsonとGreat American Ⅳ世号は107日と0時間48分18秒の経過時間で13位を確実にしました。彼は実際に27,480マイルを平均速度10.70ノットで航海しました。

ウイルソン66歳、このレースで最も歳を取ったスキッパーは成功裏に2回目の最高峰の単独外洋レースを完走しました。彼は自分の2008-9年の大会の121日と41分を2週間も縮ぢめました。それによって、2度目のレースに参加しようと彼に決意させた大事な目標の一つを達成しました。レースを通して、彼はまた毎日世界の55ヶ国の異なる国々の75万人を超える若者への多くの切り口を持つ教育プログラムを配信しました。これはウイルソンがバンディグローブに戻ることを決心させた別の基本的な理由です。彼は2004-5年のBruce Schwabの109日と19時間の記録を破って、単独無寄港世界一周レースで最も早いアメリカ人になりました。

 

生涯の海の男で生粋のマサチューセッツ州ボストン生まれの非常に多くの経験を積んだアメリカ人スキッパーは、1993年のサンフランシスコからボストン、2001年のニューヨークからメルボルン、そして2003年の香港からニューヨークを含む3つの記録を作った航海を含めた、およそ40年に渡る素晴らしいキャリアを持ったヨットの世界に、特筆すべき業績の1ページを追加しました。

 

ウイルソンは寒い2月の午後、間違いのないロープさばきで、ビスケー湾のどんよりした空から抜け出て、フィニッシュラインを越えました。彼の「Great American Ⅳ世号」はレ・サーブル・ド・オロヌへ11月初旬に出航した時とほとんど同じかつ完全な状態で戻ってきました。ウイルソンは小さな技術的な問題ノあれこれを完璧に処理しました。とりわけ彼の自動操縦装置のグリップや、水力発電システムや、いくつかのちょっとしたセイルの修理などです。

彼の2回のバンディグローブレースを大変いい状態の両方の艇でフィニッシュしたことは、彼の完璧なシーマンシップ、彼のたゆまない集中と自分自身で作った用心深い手順を守る訓練、高い平均スピードを達成することに気を配ること、そしてスキッパーと艇の安全を保ちながら非常に効果的に帆走することをしているという証拠です。彼の実際の航海、それは非常に直線の航路を彼は取ったのですが、その効率は、実際のレースの優勝者、Armel Le Cleac'hが27,450マイルを航海した航路とほとんど同じです。そして、およそ300マイル少なく航海したのは、4位から6位のスキッパー達、Jeremie Beyou、Yann Elies とJean Le Cam 達が唯一いるだけです。

 

ウイルソンは歳を取った単独航海のセーラーまたはアスリートの能力や成績の限界点を証明しなければ気が済まない人物ではありません。乳幼児のころからぜんそくに苦しんだ彼は、年齢は単なる数字だと考えていました。そして、彼は両方のレースに先だってそれに相応しい、かつ強い体になれるように努力をしました。「私は家で優雅にパイプを吹かす歳ではありません,歳は単なる数字です。」ウイルソンはスタート前に何度もいいました。このことは、彼の今日の成功は世界の多くの年を取った人々が夢の追求や情熱を追い求める大いなるきっかけになるでしょう。

Owen-ClarkeがデザインしたDominique Wavre 2012-13で7位に入った今回のレースに出た彼の艇はGreat AmericanⅢ世号よりももっと早く頑丈です。

 

航海中、ウイルソンは彼のレースを明快に熱く語りました。話題を探求しようとする彼の教養のある好奇心はすべての年齢層に幅広く受け入れられる興味と知識を与えました。かつて数学の先生だった彼はハーバードビジネススクールとMITの学位とハーバードの学位を修得しています。レース中彼は多くのスキッパー達と常にコミュニケーションを楽しんでいました。その中でも特にコミュニケーションしたのは、昨日フィニッシュしたスイスの23歳の最も若いレーサーAlan Rouraでした。

 

リッチ・ウイルソンのレース

11月7日:メインマストの滑り金具上のバッテン金具の交換、疲労によるミスを避けるため、より安全なセールの選択で航海。水流発電機のプロペラピッチ(傾き)を制御するポンプから箱の中にその水圧オイルノ全てが漏れる。

 

11月12日:スコールの中で艇が走り出したが、やがて自動操縦装置が停止した。そのため、艇は風に向かって立ち、およそ45度の角度に傾いた。2枚のセールはバタバタと羽ばたいた。私はコクピットに急ぎ、舵を握った。原因不明の自動操縦装置の問題は解決した。

 

11月17日:無風地帯の最初の部分がさらに北寄りに予測された。突然のスコール。

 

11月19日:4時50分、Great American Ⅳ世号は赤道を越えた。リッチに取って帆走による12回目の横断である。

 

11月24日:艇が良好なことを知る。前に向かってマイルを稼ぐ。Tanguy de Lamotteとのいい会話をした。

 

12月1日:最高速度24.7ノット。「先頭を行く人たちがどのようにしてスピードとそれによって引き起こされるストレスを調整できるのか理解できない。」

 

12月6日:インド洋に入る。水流発電機の単に更なる作業。

 

12月9日:Alan RouraとEric Bellionとチャット。「3人の複合世代の男たち、66歳の私、40歳のEric、そして23歳のAlan。」

 

12月13日:「36時間以内にここに訪れる大きな低気圧の前にケルグレン岩礁の上を横切る東コースを取るのは非常に難しい。私の計画はそれゆえに強い風があるだろう南東に舳先を向けることだ。Ericは北寄りのコースを選んだ。AlanとEndaはあたかも私に似た計画を立てているように見える。」

 

12月15日:16時間にわたって平均風速45ノット、そして我々の雷鳴のような全力疾走の艇のスピードは波をけちらしながら20時台の半ばまで10-12ノットだった。

 

12月20日:「昨晩はEnda O'Coineenと面白い遭遇をした。」

 

12月21日:「私の友人、Eric Bellionが私の後ろに回り込んできて、そして接近して追い抜いて行った。今日は素晴らしい遭遇をした。」

 

12月25日:「私たちは港を離れて遠くまで来た。そして、まだ先は長い。通常の私の航海では、すごく孤独になったことはない。しかし、今日は孤独だ。それは私たちの前方に発達すると予想されている大きな低気圧によってそれは一層ひどくなったと確信している。」

 

12月31日:国際日付変更線を超える。

 

1月1日:「私たちは強風の中にいる。35-40ノットの風を受け、それは後18時間続くように思われる。海が艇を呑み込むような暴風は筆舌に尽くしがたい。」

 

1月5日:「それは1か月に一度あるかないかの帆走には最高の日だ。」

 

1月7日:ちょうど半分来た。

 

1月13日:「私は低気圧の強い風の目の中にいる。ステイセールをストームジブのみ張り、メインセールをワンポン、ツーポン、スリーポン(1段縮帆、2段縮帆、3段縮帆)と縮めて行く。」自動操縦装置は使わない。

 

1月17日:ホーン岬

 

1月18日:「フォークランド諸島の西を通る。Alan Rouraの後。彼はルメール海峡を通過した。」

 

1月22日:「昨夜は最悪の夜だった。私は、北の35ノット、最大38ノットの風を常時受けた。それは大波を起こし、12-15mの高さに海を逆立てた。これは午後一杯続いた。そして突然止んだ。この艇の頑丈さは説明書以上だ。そして私は疲れ切り、率直に言うと、士気が砕けた。」

 

1月25日:「私たち(私と艇)は夜通し徹底的にやっつけられた。30ノットの風、向かい風、山のような波、そして何度も砕け散った。状態はひどい混乱状態だ。本当に艇の上で何もできない、なぜなら常時つかまっていなければならないからだ。

 

1月29日:「リオデジャネイロの緯度、南西の風、2-3ノット、本当に思いがけないことだ。艇は3時間円を描いている、大変にフラストする。」

 

2月5日:北回帰線に入る。

 

2月7日:ついに北東の貿易風の中に入る。

 

2月16日:アゾレス諸島のファイアル島に近づいて航海する。

 

2月21日:フィニッシュする。