英国人はいつの日か海を支配できるのか

Will Britannia one day rule the waves?


English Original

英国はいつの日か海を制することができるだろうか?

 

イギリスはバンディグローブの歴史に貢献しています。もし彼らがいなければ大会から何かが失われていたのは明らかです。しかしながら、彼らが未だに達成していない何かがあるのです。勝利です。この第8回大会でAlex Thomsonはそれ故に単独無寄港世界一周レースに優勝する最初のイギリス人セーラーになることを目標にしています。出発まで3週間を切ったところで、私たちは英国がこの大会で何を成し遂げたのか振り返ってみましょう。

このレースが始まって以来、15人のイギリス人セーラーが、一人の女性を含んで、レ・サーブル・ド・オロヌから出航してゆきました。彼らは3回表彰台へ上る機会を持ちました。しかし、今もってレースに優勝していません。ただ、イギリス人スキッパーたちは明らかに単独無寄港世界一周レースで、いくつかの記念すべき瞬間に貢献をしています。喜びと悲しみ、賞賛すべき偉業といくつかの大惨事もまた。物語は、この11月6日の第8回大会のスタートに加わる、Alex Thomson に引き継がれています。

 

15人のスキッパ―が3回表彰台に上がり、一人が亡くなりました。

 

すごく初期のバンディグローブでは、物事は決していいスタートを切っていません。1989年の参加者に英国人はいませんでした。しかしながら3年後、2人のセーラーがレ・サーブル・ド・オロヌを出航しました。Nigel Burgess と Alan Wynne です。しかし、レースはすぐに悲劇を生みました。スタートしてから4日後、Negel Burgess がフィニステール岬の沖でおぼれ死んでいるのが発見されました。おそらく、波に打ち付けられ落水したものと思われます。Alan Wynne-Thomas の場合は、治療を受けなければならないという理由でタスマニアのホバートで棄権せざるを得なくなりました。英国人セーラーが単独世界一周レースに完走するのは1996年―1997年の大会まで待たなければなりませんでした。Pete Goss が第5回大会で126日の航海の後、

5位でフィニッシュしました。道中、彼はフランス人セーラー、Raphael Dinelli を救助しています。彼は南氷洋のどこかで転覆していました。Tony Bullimore の場合は、彼も又この危険な海域で転覆しました。しかし、彼はオーストラリアの救助隊によって救助されました。

 

2000年-2001年のレースは英国代表団に取って大変記念すべきものになりました。初めて複数の挑戦者が参加しただけではなく、同時にバンディグローブに参加する最年少の(ちょうど24歳だった)挑戦者、Ellen MacArthur の存在がありました。小柄な、しかし強固な意志のセーラーは94日間で、優勝者、Michel Desjoyeaux

のわずか24時間後に2位でフィニッシュすることで多くの人々を驚かせました。

こんなに大会の優勝に接近した英国人セーラーはかつていませんでした。

 

Mike Golding と Jose Hall はこの同じレースで驚くべき7位と9位に入りました。Richard Tolkien の場合は彼の艇の艤装に損傷を負った後、棄権せざるを得ませんでした。

 

英国人は2004年―2005年大会で表彰台に戻ってきました。Mike Golding がVincent Riou とJean Le Cam に次いで3位でフィニッシュしました。 Conrad Humphreys は7位で世界一周レースを完走しました。一方で、Alex Thomson は彼の初めてのバンディグローブ参加で、首の損傷のために、ケープタウンで棄権せざるを得ませんでした。

 

2008年ー2009年、最低7人のイギリス人スキッパー達がスタートラインを超えました。Ellen MacArthurの航跡を追って、他の女性が、単に彼女の非凡なレース能力だけではなく、彼女が世界一周航海する時の、世間に対して彼女の感情を伝える自然の能力によって、頭角を現しました。洋上での95日間の航海後、Sam Davies はレースを盛り上げ(4位)、フランスのフアン達に認識されました。彼女一人ではありません、Brian Thompson5位、Dee Caffari 6位、Steave White8位でフィンニッシュしました。しかしながら、Jonny Malbon、Mike Golding、そしてAlex Thomsonはうまくいきませんでした。これら3人は棄権する憂き目を見ました。

 

今までのところ優勝だけがありません。

 

Alex Thomson は4年後の次の大会(2012-2013)で再挑戦をしました。そして、Francois Gabart とArmel Le Cleac'h に続いて3位で入賞しました。Sam Davies に取っては大変に不満足なレースでした。彼女のボートはレース数日でデスマスト(マストが折れる)しました。4回目のバンディグローブだった、Mike Golding は6位でフィニッシュしました。そして2005年のレースと同様に、わずかにJean Le Cam の後塵を拝しました。このような英国人がバンディグローブに与えた、感動し、胸が張り裂けるような内容で、2012年2013年のレースは締めくくられました。

 

3週間以内に、Alex Thomson は彼の第4回目のバンディグローブへの挑戦をします。トップを狙う行動を続け、そして単独無寄港世界一周レースの最初の英国人の優勝者になる(そして、実に初めてのフランス人以外の優勝者に)という彼の目標が成るとははっきりと言い切ることはできません。2016年2017年のバンディグローブが進行している間に、幾人かの別の英国人スキッパーたちは2020年の大会に参加する計画を練っています。

 

数字で見る英国人挑戦者たち。

 

3人の女性を含んで、15人のセーラー達が出航しました。

8人が完走しました。Pete Goss、Ellen MacArthur、Mike Golding、Josh Hall、Conrad Humphreys、Sam Davies、Dee Caffari、Brian Thompson、そしてteve Whiteです。

3人が表彰台に上がりました。

Ellen MacArthur (200~2001で、2位)、Mike Golding (2004~2005で3位)、そして、Alex Thomson (2008~2009で3位)

英国人の最大参加人数:2008年2009年の7名。

最も多く参加しているのは。

Mike Golding:4回:うち3回のランク(2000~2001、7位、2004=2005、3位、2012~2013、6位)

Alex Thomson:3回:うち1回だけランク付け(2012~2013、3位)

今回の2016~2017は4回目の参加。

 

記事:Olivier Bourbon / M&M

翻訳:Watson Courtier

as of on Oct.25 2016.